【宇宙よりも遠い場所】 彼女たちを縛っていたもの ① - キマリ編【よりもい】

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2018年に放送され、各社が行ったその年のアニメランキングでは軒並み上位をキープしていた『宇宙よりも遠い場所』(そらよりもとおいばしょ)。キャッチコピーを『女子高生、南極へ行く!』としたことでストーリー展開が推測できるにもかかわらず、たくさんの視聴者を釘付けにしてきました。

"なるほど、南極に行く過程でいろいろ壁にぶつかるのだな" と予測したうえで観賞していても、遥かうえをいく展開に感情は揺さぶられ、涙せずにはいられない。そんな名作のうちのひとつです。

さて、今回この記事で示したことは、その主人公である女子高生たち4人が、各々抱えている苦悩 = 心の縛りをどのようにして乗り越えてきたのかという点です。普通に過ごしているとつい諦めてしまったり、我慢して受け入れたふりをしてしまうモヤモヤとした気持ちを、日本から14,000km離れた場所でどのようにして解放していったのか、ということを丁寧になぞっていきたいと思います。

目次


ご存知の通り、この作品の主人公は、「キマリ」こと玉木マリです。すべてが南極に向かって展開していく本作では、最初から南極を目指していた報瀬(しらせ)が主人公に見えることもありますが、「よりもい」という作品は キマリに始まり、キマリに終わるのです

たしかに「 4人の女子高生が、苦境を乗り越え南極へ行く物語 」としての主人公は報瀬と考えるのが妥当ではありますが、実際に、キマリが主人公として描かれているという以上 「よりもい」の主題はキマリにあるということになります

冒頭、キマリは青春を謳歌したいと思っていながら、実際には何も行動できてないことに焦りを感じている平凡な高校2年生でした。彼女の手帳の最初のページには「高校に入ったらしたいこと」と銘打って、

  • 日記をつける
  • 一度だけ学校をサボる
  • あてのない旅に出る

という箇条書きがありますが、以降は白紙のままです。それは、キマリがいうところの「何もない」高校生活を、キマリ自身に突きつけるためのツールと化していました。

オープニング主題歌の『The Girls Are Alright!』の冒頭にある

教室でノート広げて 真っ白なページ見つめて
鉛筆でなぐり書き「変えたいな、わたしを...」

この歌詞はまさに、キマリの心情そのものを表しています。 なお、実際は教室ではなくキマリの自室なのですが、歌詞における「教室」は、この物語が学生によるものであることを示すためのフレーズなので、その差異については無視するものとします。

キマリの手帳の、とあるページに「青春、する」という一行が記されていました。これはまるで、最初の目標であるところの「日記をつける」すら実行できていないことに気づいたキマリが、あるとき慌てて書き足したのではないかと考えられます。いや、邪推でしょうか。

何か新しいことを始めよう、計画を立てようと手帳を買ってみたものの、結局、何も書けるようなイベントが発生しないまま時間だけが過ぎていた。そこで、急ごしらえで漠然とした目標をとりあえず書いてみたけれど、やっぱりそれっきり何も起こらない。

このように、誰にでも起こりうることを通じてキマリがいかに平凡であるかということが描かれていました。

さて、高校生活の単調さにくすぶっていながらも、みずからの意志で行動を起こせないキマリが「南極に行く」という大きな目標に向かって動き出すためには、突破しなければならない心の縛りが2つありました。それは「臆病さ」と「幼馴染」です。

臆病さ

手帳に記した3つの目標を実行すべく、学校をズル休みして、あてのない旅をすることを決意したキマリ。幼稚園時代からの幼馴染・めぐみに宣言し、実行に移します。しかし、旅立ちの列車に乗る寸前で怖くなってしまい、旅を断念してしまいます。

キマリは、自身の臆病さを十分に自覚しており、昔から何をやろうとしても直前で怖くなって動き出せないのだとこぼします。高校に入ってからやろうと思っていたことが何も実行できていないのは、キマリのそういった性格が由来していたのです。

そんな話をめぐみに話を聞いてもらっている最中でさえ、キマリは家族からのLINEに「門限までには帰る」と返します。これはキマリの性質をよく表していて、いつも行動範囲に制限を設け、そこから外に出ることができないということの比喩として描かれています。

臆病さから抜け出せないキマリが、いったいどうして南極になど挑めたのでしょうか。それは、キマリが出会ってしまったからです。「しゃくまんえん」を落とした小淵沢報瀬(こぶちざわ しらせ)に。

周囲の声に耳すら貸さず、「南極に行く」と言い続け、愚直に努力し100万円を貯めた報瀬に心打たれたキマリは、報瀬を応援することを宣言します。

しかし、報瀬は聞こえのいい応援だけしてくれる人を何度も見てきているため、そう易々とキマリの応援を受け止める姿勢は見せません。まるで、からかうかのように満面の笑みを浮かべつつも、報瀬の胸の内は真剣さに満ちています。

「一緒に行く?」とキマリを誘うと、本気ならば週末に広島で行われる南極観測船のお披露目イベントに来るよう伝えます。彼女たちが暮らしているのは群馬ですから、本気で南極を目指す報瀬にとっては、応援すると言ったキマリが自分と同様に本気であるならば、広島ぐらい来れるよね?ということです。

それは当然で、視聴者である我々だって画面越しには「報瀬がんばれ!」と応援した気でいるものの、いざ面と向かって南極に同行しないかと問われたら、躊躇したあげく、いかにも大人の都合っぽい理由をいくらか用意し、それとなく断るのが関の山ではないでしょうか

報瀬は、そんな人たちをもう見飽きてしまったと言っているのです。応援してくれる人というのはありがたい存在であると同時に、基本的には無責任です。だったらせめて、口だけではなく本気を見せて欲しいということを、キマリへ求めたのです。

何かしたいと思いながら何もできずにいたキマリにとって、突然訪れた南極への誘い。それは ズル休みすらできなかったキマリにはあまりにも大きすぎることで、とても実行できそうにありません。しかし、自身のこれまでの臆病さを、信念を形にしてきた報瀬の言葉で掻き消すようにして、失敗への恐怖や後悔への不安を押し除けた先に待っているかもしれないキマリがいうところの「青春」を求め、南極に向かって踏み出すことを決意しました。

後の話になりますが、8話、南極へ向かう船の中、日々の体力づくりと荒々しい船酔いに女子高生メンバーたちが滅入っていくなかで報瀬が「でも頑張るしかない。それしか選択肢はない」と何くそ根性で語ったのに対し、キマリは「 そうじゃない。選択肢はずっとあった。でも選んだんだよ、自分で! 」と放ちました。

報瀬は元より持っていた負けん気で頑張ってきていましたが、それとは別に、最初はずいぶんと物怖じしていたキマリはキマリで、自分の選択に自信を持つようになっていたのです。キマリの成長が感じられるセリフでした。

幼馴染

話は序盤、南極への準備をはじめた頃に戻ります。

報瀬の南極行きに同行することを決断し、臆病さに打ち勝つことができたキマリは、報瀬に次いで猪突猛進といわんばかりの印象に様変わりしていました。

そんなキマリの行動を制限するような発言を繰り返していたのが、キマリの幼馴染である「めぐっちゃん」ことめぐみです。「南極に行く」と宣言していたことで学校中から有名だった報瀬のことを、「無理に決まってる」と切り捨てていました

そんなめぐみは、キマリが南極行きを決意してからも遠回しに辞めさせるようなことを言い続けます。「無理するな」「失敗したら」「頑張って駄目だったら」「すごく後悔するぞ」と、これでもかと念を押しています。もはや呪いです

これまでのキマリであれば、めぐみのネガティブな物言いに怖気付いて行動するのをやめていたかもしれません。めぐみの言葉を体(てい)のいいアドバイスとして受け取ることで、臆病な自分と向き合わずに済んでいました。

しかし、今のキマリはもう迷いません。キマリにとって抑止力となっていためぐみの言葉は、むしろ「心配してくれる友達からのお守り」として機能するようになっていたのです。

そうなると、めぐみにとってはバツが悪い。めぐみは、キマリが自律的に行動するようになると困るからです。そもそもどうして、これまで何度もキマリが行動を制限するような言葉をかけてきたのかという話に移ります。

めぐみは、「幼い頃から(キマリは)もたもたしていてどうしようもないやつだった」と語るように、キマリの面倒を見ることで、キマリの姉としての役割を身につけてきました。そのまま成長していくうちに、めぐみもまた、かつてのキマリと同じように熱中している「何か」を持ち合わせていないという自覚を持ち始めます。

どこか冷めた性格のめぐみは、キマリがいつも「何かしたい」と言いながら何もできないでいる様子に安心感を得ていたのです。高校2年生とはいえ、まだまだ心は成長していく過程ですから、周りの人間が青春を謳歌している様子と比較して「自分には何もない」という悩みを抱えるのは、うなずけるものがあります。

そこで、自分と同じように「何もない」と悩んでいるキマリが側にいて、そのうえ自分が姉的に面倒を見るという役割を担っていれば、多少は不安を埋め合わせすることができてしまいます。

ところが突然、キマリが自分の意志で行動をはじめ、報瀬という "自律心の権化" のような、誰に反対されようとも真っ直ぐに突き進もうとする存在と交流をはじめたというのですから、めぐみは焦ります。

キマリの姉役のままでいられれば、「自分ではろくに行動できないキマリが、自分にいつもくっついてきてる」といった関係性のなか、安心材料としてキマリを側においておけたのです。それが、いよいよキマリが自力で行動するようになってしまえば、めぐみは 「自分には何もない」という自身の問題と向き合わなければならなくなります

内面の問題というのは、うすうす気づいていようと、見ないように、あるいは見えないよう無意識のうちに仕向けてしまうものです。できるだけ、自分の内面を直視したくない。だから、キマリには行動して欲しくない。そういった思いが、キマリと報瀬への批判をネットに流したり、報瀬が100万円を持ち歩いていることを流布したりと、嫌がらせ行為につながったのです。

しかし、キマリは一切気にしていないばかりか、めぐみからのやっかみを、そもそも気がついてすらいませんでした。めぐみからすると、キマリが自分の手元を離れ、どんどん歩みを進めて行ってしまっているという現状は、他方でキマリからすれば「いつもめぐみに頼ってウジウジしてしまうのが嫌で、そんな自分を変えようとしていた」ということだったのです。

つまり、キマリが自分の意志で行動を始めたのは、めぐみの元から去るとか去らないとかいう次元の話ではなく、精神的に自立し、めぐみと友達として対等であるためのものだったのです。キマリのそういったスタンスから出た言葉が、旅立ち前夜の「だから、頑張ってくる」というセリフでした。

ようやくめぐみは、キマリが自分にくっついてきているのではなく、めぐみ自身がキマリにくっつき、依存していたことを自覚します。それが、旅立ちの朝の絶交宣言へとつながりました。

いつの間にか、めぐみはキマリの臆病さそのものを具現化したような存在となっていました。「何かしてみたい」と口にしては、やっぱり無理だと諦めるという一連の流れは、かつてはキマリの臆病さによるものだったはずが、実は、めぐみも同じような感情を抱えていたのです。

キマリが自分の臆病さと決別し、「だから、頑張ってくる」と告げたことで、めぐみはキマリがちゃんと自分と向き合って、自分で決断し、自分で行動していることを理解しました。めぐみは、動きはじめたキマリの邪魔をしているるだけだった自分に気がつき、踏み出したキマリと、留まっている自分との差を理解し、南極へ向かうキマリに絶交を申し出したということです

ただし、キマリは臆病だった過去を切り捨てたわけではありませんでした。過去の自分は過去の自分として、決して嫌悪するようなことはしませんでした。となると、キマリにとっての臆病さに近しい内面を持っていためぐみのことも、同じように臆病だった自分とずっと一緒にいた友達として、簡単に切り捨てるようなことはしません。

過去の自分もまた自分であるように、これまで友達だっためぐみは今でも友達のままなのです。めぐみの絶交宣言に抗い、「絶交、無効」と言い残すと、キマリは振り返ることもなく、めぐみの停滞を置き去りにして走り去っていきました。めぐみはというと、その場で立ち尽くし、キマリの背中を目で追うことしかできませんでした。

ここで、以下のモノローグが入ります。

キマリ「私たちは、踏み出す」 報瀬「今まで頼りにしていたものが、何もない世界に」

キマリとめぐみは、それぞれが抱えた臆病さや不安定さをお互いに委ねるようにして関わり合っていました。それがキマリの南極行きによって強制的に引き剥がされることで、お互いへの縛りが解き放たれます。

いうなれば、頼りにしあっていた存在が、一時的にとはいえ消えてしまうということです。それでもなお南極行きを決意したキマリは、生まれてはじめて、縛りやしがらみのない新しい世界に向かって自分の足で踏み出しました。そして、そんなキマリを目の当たりにすることで自分の浅はかさを自覚しためぐみもまた、キマリという、縛りでありながら頼っていた存在がいなくなってしまった世界で、自分の力で行動せざるを得なくなるのです

彼女たちは一旦、お互いの充実を図るには十分な期間を確保することになります。物語の主人公という特性上、南極に行くキマリが壮大な結末に向かっていくであろうことは想像できますが、はたして、めぐみはどうなっていくのでしょうか。唯一といっていい寄りどころであったキマリが去って行ってしまってなお、これまで通り冷笑的な態度で暮らしていくのでしょうか。

ご存知だとは思いますが、その答えは本編にありました。旅立ちの朝、めぐみからの悪態についての独白に思わずキマリが放った「 なんでぇー! 」という叫びは、本編のもっとも最後にあたるシーンでこだまするようにしてキマリの元に返ってきます。キマリが一歩踏み出したことは、友人であるめぐみにもまた、影響をもたらしていたのです。

間話:「よりもい」の主人公として

少し話はそれますが、序盤においてキマリを縛り、悪態までついていためぐみがクズに思えてしまう視聴者は多いことでしょう。ただ、そういった行為を過ちであると理解し、自分の内面と向き合った結果、自分の言葉で謝罪するというところまでをきちんと実行したというのは、すごく立派なことではないでしょうか

後ろめたいことがあったとき、人はそれと向き合わないという選択をすることも可能です。それも、めぐみが向けた悪意にキマリは気がついてなかったのですから、隠そうと思えば隠し通せたことでしょう。ただ、「何かをしたい」と思っていたキマリが「何か」を見つけ、批判や悪意すらまったく目に入らないほどに熱中していたことが、どうやら余計にめぐみには刺さっていたようです。

キマリを縛ることで自分自身をも縛っていためぐみはそのことを自覚し、謝罪の末、お互いのために絶交という判断をくだしたわけですが、謝罪しただけでなく、自分の今後についても語っています。

「ここじゃないところに向かわなきゃいけないのは、私なんだよ!!」

このセリフからは、いかにめぐみが自己の内面と向き合ったか、行動しはじめたキマリと自分との差を直視したのかが伺えます。いつも姉さん風を吹かせては、”面倒を見てやる” という態度でいためぐみは、それがもはや成り立たないことを理解しています。キマリが自分で動き出したいま、キマリがとる言動に何かを言っているだけでは駄目だと認識しています。南極に行くのはキマリで、停滞していたのはキマリではなくめぐみ自身であると。それを自覚したのが上の台詞です

泣きじゃくった勢いから一緒に南極へ行こうと誘うキマリの発言を棄却しためぐみは、続けてこう言います。

「やっと一歩踏み出そうとしているんだぞ。お前のいない世界に」

悪意を謝罪するのみでなく、今まで自分のやってきたことと、今いる場所から飛び出そうとするキマリとの関係性をきちんと理解していなければ、この台詞は出てきません。縛ろうとしていたキマリの旅立ちを受け入れ、同時に、キマリを縛ることで安心し、停滞していた自分もまた「踏み出そうと」しなくてはならないという事実を受け入れています

ただでさえ、謝罪をすることでさえ勇気がいることなのに、そのうえで自己と向き合って今後のために自分自身のために踏み出そうとする。その内面の動きをひとりでやってのけためぐみの、個としての偉大さは計り知れません。

「よりもい」といえば南極に向かった4人の話がメインですが、南極に行くまでの間にあっためぐみとのやりとりを考えれば、キマリにとってめぐみが重要人物であることは間違いありません。あくまでも「よりもい」は キマリに始まり、キマリに終わるのです


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