【のんのんびより】 ウチはいなかに住んでるのん? - その①

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2013年に1期が放送され、2015年には「りぴーと」と銘打った2期、そして2018年には劇場版と、コンスタントに最新作が放映されてきた人気アニメ『のんのんびより』。田舎暮らしの子どものたちの日々を描いたこの作品は、田舎という舞台において人々が暮らしていく際のふるまいや所作を、丁寧に、そして徹底的に描いていることが魅力です。

その細やかな気配りは、登場人物たちが実生活で振舞う何気ない所作や、彼女たちが交わす言葉から見出すことができます。

彼女たちが住んでいる村(※1)において、その中にいる人同士での会話にのみ通じる意思疎通の方法があるのは、生活している以上、あたりまえのことなのです。したがって、たとえ視聴者が知らないであろう言葉だったとしても、彼女たちにとってはわかりあえる言動であり、それをわざわざ説明するということはありません。この作品は、彼女たちの生活をそっと覗くような視点で作られているのです。

彼女たちが当然のようにして振舞う説明不要のコミュニケーションが、ときに、ほんの一瞬だけ垣間見えることで、彼女たちが、”いまこの瞬間” を暮らしていっていることの鮮烈さを感じ取ることができるのです。

(※1)作中に登場する土地が「村」であるか「町」であるかは明記されていませんが、人口が少なく自然が生い茂っているという環境から本連載では一律に「村」と記します。

目次


概要

『のんのんびより』という作品が、”いかに丁寧に彼女たちの暮らしぶりを描いているか” ということを語っていく本連載。第1回目にあたる本記事におけるテーマは「田舎という環境への丁寧な描写について」とします。

”田舎ぐらし” が主題の作品において、田舎の描写が優れていることはとても重要だからです。

究極的にいえば、どんな作品であれ、田舎の景色と環境音さえあれば感動できてしまうのではないでしょうか。田舎まちの風景は、たとえ田舎ぐらしの経験がなくとも、不思議と記憶の奥底に眠っている原体験が蘇ってくるような体感を得られるものです

もっともそれは、テレビや映画などを通じて見せられてきた「あの頃の夏休み」といったようなメッセージによって作られた思い出なのかもしれませんが。

また、本作は田舎風景の表現のみならず、人間の描写が秀逸です。子どもという自由にみえる存在は、実はそこまで自由なんかではなく、外界から遮断された無力な存在であったことが、登場人物たちの振舞いによって思い起こされることでしょう。

田舎ぐらし

れんげ - 内側からのまなざし

宮内れんげは3姉妹の末っ子で、本作において最年少の小学1年生です。宮内家の長女でありれんげの通う学校の担任・一穂(かずほ)と、れんげが小学校に入学するのと同時に東京の高校に入学した次女のひかげを姉に持っています。宮内家は少なくとも、親の世代からはこの土地で暮らしてきているようです。それは、近所の山が宮内家の土地であるという証言からもうかがえます。

また、れんげの存在は『のんのんびより』を語るうえで最も重要です。タイトルの「のん」というフレーズは、れんげがよく語尾につけている言葉であるのみでなく、一穂や小鞠も口にしていることから、この地域特有の方言のようです。

本作は、田舎に生まれて田舎に育ったれんげが「もしかして、ウチは田舎に住んでるのん?」と疑念を抱くところから始まります。れんげは生まれたときからこの村に住んでいたので、ふつうに考えると、”田舎を知っている人間” という立場になりそうなものですが、6歳という年齢は、まだまだこれから “世界を知っていく側” の存在です。

つまり、この村で生まれこの村に育っていくなかで、自分の住んでいるところが田舎であるかどうかの判断がまだできていなかったのです。むしろ、これからたくさんのものを見ていくなかで『のんのんびより』の世界がいかに田舎であるかということを発見していくのが、本作における、れんげの役割になっています

いうなれば、れんげは内側から田舎を探求する ”まなざし” として機能するのです。

視聴者である私たちは、れんげが暮らしている場所が田舎であるということがすぐにわかります。同じように、作中の人物たちも、ここが田舎であるということは重々承知していることでしょう。ただ、それは大人だから “知っている” のです

一方、れんげはまだ外の世界はおろか、自分の身の回り世界すら数年間しか見たことがありません。それも、自分で意識して世界を見れるようになってからでいえば、本当にわずかな時間しか過ごしていません。

れんげがたくさんのものをみて、いろいろなことを発見していくということは、そのまま 『のんのんびより』の舞台である土地に、新しい視点が向けられているということになります。

れんげという、田舎の内側から誕生した存在が「もしかしてここは田舎ではないか」という疑念を向けることによって、田舎という環境についての新しい視点や新しい発見が表出していくのです。

- 外側からのまなざし

れんげとは対照的な存在として、一条蛍(いちじょう ほたる)が登場します。第1話、蛍は東京から、れんげたちが通っている旭丘分校に転校してきた小学5年生です。

父の仕事の都合で引っ越してきた彼女の家は、新築とおぼしき一軒家です。古くからある木造の家が点々としているこの村においてそれは珍しく、現代風の戸建てに住んでいるということから考えると、短期間の赴任というわけではなく、長期的にこの場所で暮らしていくことが推測できます。

田舎に暮らしているれんげたちにとって、蛍は稀有な存在でしょう。なぜならば、れんげたちは東京はおろか、自分たちが暮らしている場所より外の世界をほとんど知らないからです。れんげたちには蛍が “東京” の象徴になりうるわけです。

対して、幼い頃から暮らしてきた東京とはまるで異なった、想像もできないような世界にやってきた蛍にとっては、この村こそが知らない世界です。必然的に、”外界からきた人間が田舎という世界を知っていく” という構図になります。当然、住人たちはここでの暮らしについて、蛍へ説明することになります。このおかげで、田舎のことを知らない視聴者にも、違和感なく田舎の説明を聞いてもらえる口実ができました。

たとえば、ホタルが旭丘分校に転校した初日。出された給食を前に、蛍は呆然としています。とれたての山菜が使われること、今日のメニューが “つくし“ や “山ウド" であることを教わると、恐るおそる口へ運びました。 何もかもが知らないものだらけの環境で、はじめての体験に逐一感動していく姿は、外からやってきた人間が、田舎について新しい発見をしていく様子そのものです。

引っ越しをするのであれば、ふつう、どういうところのどんな学校に移るのかを知っているかとは思うのですが、蛍はどうやら、あまり知らされていなかったようです。あるいは、「田舎だよ」とだけ言われても、東京しか知らない蛍には想像すらできていなかったのかもしれません。

蛍を除いた全校生徒4人で、同じ教室に出席していることや、コンビニがないことに驚き、田舎という場所がどういったところなのか、本当に何も知らない新鮮な目で捉えています。

あるいは、5話において小鞠が家の朝ごはんの買いだし役として “店に行く” と言います。付きそった蛍は、こんな場所に店などあるのだろうかと投げかけます。それもそのはず。この辺りは見渡す限りの田舎なのですから。小鞠とともにしばらく歩いていった先に、あらわれたのは野菜の無人販売でした。

大人であれば、見たことがあるか知識として知っているであろうそれは、蛍にとって “店” と呼ぶにはあまりにも質素なものだったようです。「24時間やってるからコンビニみたいなものだよ」と小鞠から聞かされた蛍は、どこか当ての外れたように渋い顔をしました。

まだ幼いれんげよりかは分別がつき、かといって、大人と呼ぶにはまだまだ世界を知らない小学5年生という年齢で東京からやってきた蛍は、田舎と都会の差に驚ける絶妙な時期だったのです。

結果として、蛍は『のんのんびより』という作品の舞台となった田舎を紹介するにはもってこいの存在となりました。田舎についてまったく知らず、想像すらできない視聴者への説明として機能していることから、本作の導入のためには重要な役割でした。

蛍のおかげで、れんげたちの暮らす田舎について、わざとらしい説明をすることなく紹介していくことができたのです。

越谷姉妹というホスト役

小学校に入学したれんげと、東京からやってきた蛍を迎え入れるたのが、最初から村に住んでいた越谷姉妹です。2人は、この町の案内人という役目を自然と担うことになります。

姉妹とはいいましたが、もうひとり、兄がいます。長男の卓(すぐる)が中3、長女の小鞠(こまり)が中2、次女の夏海(なつみ)が中1と、年子の3兄妹です。もっとも、卓はたびたび登場してくる反面、セリフが一切ありません。夏海と言葉を交わしているシーンもあるにはあるのですが、その声は、彼が弾くギターの音によって上手にかき消されています。重要人物ではあるものの、話のなかに積極的に関わってくる人物ではないため、ここでは深く追求しません。

夏海と小鞠は、中学生になるまでこの地で暮らしてきた、いわば、田舎の “中の人” です。したがって、新しく芽生えた内側のまなざしであるれんげと、東京からやってきた外側のまなざしである蛍に対して、ときに年長者として、ときにゲストをもてなすホスト役として、友人関係という形をとりながらも内側から案内をするという役割が発生しているのです。

ただし、ほかの大人たちに比べれば、中学生の2人が見ている世界はまだまだ狭いため、れんげや蛍よりは都市が上ではあるとはいえ、世界を発見していく探求者側でいる部分もたくさんあります。

田舎ではないということ

1話、れんげは夏海に問いかけました。

「もしかして、ウチは田舎に住んでるのん?」

れんげは、転校してきた蛍がその環境に驚いている様子や、過去に姉である一穂が言っていたことを踏まえ、ここが田舎なのではないかという仮説を立てたようです。しかし、夏海はどうやらここを田舎だと思いたくないようで、「牛がいてもタヌキがいても、別に不便ではない」という理由から、ここは田舎ではないと返します。

小鞠と蛍から見れば苦し紛れの言い訳にしか見えていないようですが、「田舎ではない」という回答をれんげは受け入れることにしました。

このときは、少し見栄を張るかたちで田舎ではないということを言った夏海でしたが、やはり拭いきれない田舎者としての振舞いが、自然と出てしまう場面がありました。

5話、みんなで海へ行った帰りのことです。駅のホームにあった立ち食い蕎麦屋へ入るれんげたち。駅構内に飲食店や売店があるのは、都心部や市街地では珍しいことではありません。しかし夏海は「ここも都会だけあって、駅に店あるなんてすごいよなぁー」と感心しています。

このセリフを放った夏海からは、1話でれんげに「ここは田舎ではない」と言い聞かせたときのような取り繕った様子が見られず、とても自然に出た言葉のようです。続けて小鞠も「駅員もいるしねー」と返します。つまり、夏海たちが「駅に人がいて店がある」=「都会である」という認識を持っているということが露呈したのです。

蛍はすぐさま「けっこう郊外のような...」とぼやきます。その認識は間違っていません。夜の8時前でありながら、最終電車に乗り遅れそうになっていたことを考えると、ここが都会だと認識するのは少し無理があるのではないでしょうか。

夏海と小鞠はという存在は、れんげと蛍に対して土地のホストとしての役割を担いながらも、一方では、まだ外の世界を知らない田舎の子どもとして、自身の暮らす土地と、外界との違いを理解していく過程にあったのです。

外界との隔離

田舎という閉ざされた世界

彼女たちは田舎に暮らしています。それは要するに、都心部、ないしは街部から切り離されているということです。しかし、そのことが本作の舞台である田舎に意識が集中する理由ともなっています。

もし大人であれば、田舎という環境に暮らしていたとしても、一度くらいは街へ出かけたことがあるでしょうし、そうでなくても知識として都会がどういった場所であるかということは知っているか、想像できるものでしょう。あるいは、遊びにでかけることも可能です。

ところが、主人公であるれんげたち4人は、中学生以下の子どもであるという制約から、外界とは完全に切り離されています。子どもたちだけで東京に行こうという話は作中に出てきませんでしたし、インターネットが使える端末、ないしは連絡手段はおろか、そもそも連絡する対象が、上京したひかげ以外にありません。

つまり、4人は東京にアクセスする方法をほぼ持ち合わせていないのです。東京に行くという発想すら浮かばないのかもしれません。ただ漠然と、テレビや教科書などの資料から見たイメージを膨らませ、都会はすごいところだろうと想像するほかないのです。

東京経験のある蛍がいるものの、小学生の彼女には、他のみんなを東京につれていくだけの力はありません。したがって、彼女たちは物理的に相当な距離のある環境のなかで、自分たちの暮らしに集中するほかなく、結果として、『のんのんびより』という作品が、彼女たちの暮らす田舎へと意識を集中させる要因となっているのです。

無条件の憧れ

外へ行く機会がないのですから、外の世界を知っている人というのは貴重な存在です。もし、身の回りに宇宙へ行ったことのある人がいれば、興味を持って話を聞きたくなるものでしょう。れんげたちは、外の世界を知っている人間に対して、無条件で尊敬のまなざしを傾けます。

たとえば、東京の高校に通っているれんげの姉・ひかげは、入学後はじめて帰省した際、新幹線に乗ったことをみやげ話として持ち帰り、自慢気に語ろうとしていました。れんげたちは新幹線に乗ったことなどありませんから、「すごい!」となるわけです。

しかし、ひかげが帰省したとき、れんげたちのもとには、東京出身の蛍がいました。惜しくも、蛍はれんげが上京したあとに引っ越してきたため、ひかげは蛍のことをよく知りませんでした。新幹線に乗ったひかげに対して、飛行機に乗って引っ越してきたという蛍によって、ひかげの自慢はあっさりと棄却されてしまいました。”都会として、よりスケールの大きいものが優位" という価値観が、れんげたちにはあったようです。

その感覚は、何も田舎暮らしに限らず、子ども時代には誰しもが持っていたものではないでしょうか。たとえば、海外経験があったり、年上の恋人がいる同級生の存在は「外の世界を知っている人」あるいは「大人」として、どこか尊敬の眼差しを向けられる部分がありませんでしたか?

『のんのんびより』では田舎という舞台柄、都会を知っている人が持ち上げられる傾向がありました。小鞠がこだわる ”大人っぽさ” に近い憧れのイメージが、東京や都会には備わっていたのです。

携帯電話というアイテム

ひかげが上京する際に買ってもらった携帯電話をれんげがうらやましがったのも、小鞠が、隣に住む高校生・富士宮このみが持っていた携帯電話をうらやましがったのも、おそらくはそのせいでしょう。

携帯電話というのは、流行の象徴だったという点はもちろん、外界と接続できるツールとしても、田舎暮らしの彼女たちにとっては ""大人にならないと手に入らない = すごい"という図式が成り立っていたのではないでしょうか。

作中では、高校生以上の人間だけが携帯を持っています。「外部とアクセスができること」を大人の条件として捉えると、旭丘分校に通う中学生以下のメンバーを子どもとして明確に分けることができそうですね。旭丘分校は、れんげたち全員がバスで登校していることから、決して家の近くにあるということではなさそうです。しかしながら、携帯を持っているか否かという点で考えると、高校生以上の登場人物たちは、物理的距離のだけでなく、人間関係や社会的な意味で世界が広がるということを指し示しているのではないでしょうか。

ひるがえって、れんげたちがいかに限られた範囲でしか行動しないかということを表しています。連絡手段が必要ないということは、部活や課外活動がなく、いつどこにいるのかを親がある程度まで把握できているということになります。

漠然と、都会 = 大人っぽさと考え、それをすごいと考えるのはいかにも子どもらしいと言えますが、同時に、れんげたちが暮らしている場所がいかに外界から隔離されているかということも表しています。市街地の人間であれば、都心部について見聞きする機会が増えるわけですから、その希少性が減り、必ずしも “都会 = すごい” と考えていない可能性があります。れんげたちが都会をすごいと考えることは、裏返すと、それだけ彼女たちの暮らしが外界と遮断されているかということを明示していたのです。

田舎という舞台とノスタルジー

”あの頃” のおもいで

第1話の冒頭というのは、その作品がどのようなものかを提示するためにとても重要です。『のんのんびより』ではどうでしょうか。

山、川、青空。

雲、田んぼ、あぜ道、畑、土。

「田舎」という言葉を聞いて浮かぶほとんどの要素が画面にいっぱいに映し出されたかと思えば、時間を忘れさせてくれるようなゆったりとしたBGM。そして、小さな背にランドセルを担いだ少女が吹く、つたないリコーダーの音。

寂しいような懐かしいような情景は、「なつやすみのおもいで」といった言葉で表現できそうな、原体験的な情景を想起させてくれることでしょう。

田舎暮らしというのは厳しい面も多々あることでしょうが、多くの人が「田舎の良さ」を語るとき、本作の冒頭にあるような広大な自然と、ゆったりと流れる時間のことを指している場合が多いのではないでしょうか

せせらぎや風の音、鳥の鳴き声。それだけでも、自然に囲まれた風景を眺める作品として十分に成り立ってしまいそうなものです。

あるいは、入学式で生徒たちがうたう校歌が聞こえる。その声を背景に映し出される、木々や山、川の流れ。それは、幼い時代を日本で過ごしたことのある人にはどこか懐かしいものではないでしょうか。そういった描写は、本編の至るところに散りばめられつつ、記憶の隅にある憧憬への懐古心を確実にえぐって来ます。

田舎の風景と記憶の中の原体験だけを主役にしても良さそうなほど、そこにはノスタルジーが溢れていました。もちろん、主役はれんげを筆頭とする登場人物たちなのですが、彼女たちの田舎暮らしの様子をきちんと描くために、背景となる田舎の景色や懐古心をくすぐるような描写が緻密に表現されています。そういった土台がしっかりしているからこそ、れんげたちの暮らしぶりを、より没頭して楽しめるようになっているのが『のんのんびより』という作品なのです。

まとめ

もしかしてウチは、田舎に住んでるのん?

本記事で語ったように、本作は田舎の情景を丁寧に描いたシーンから始まりました。それはこの作品が、田舎暮らしの話であることを明示する情景ですが、れんげが「もしかしてウチは、田舎に住んでるのん?」という疑念を投じることで、れんげの視点から、この土地がどんな場所なのかを発見していくという展開が作り出されました。

田舎に暮らしていることを、れんげ以外の住人は知っています。そして、1期の最終話において、れんげはここが田舎であるという結論に至りました。一度は「田舎ではない」という夏海の言及に納得していたれんげが、みずから、ここが田舎だということを、1年を通して発見していったのです。

れんげが内側からの新しいまなざしであるということは本文中に語りましたが、彼女は日々を暮らしていくことで、その視点から、自分の暮らしの舞台を「田舎」と定義しました。れんげの1年間を覗いてきた1期・12話を通じて結論を出したれんげに、暮らしの大きな要素である ”子どもの成長” というものを感じずにはいられません。

『のんのんびより』という作品は、このように「田舎で暮らしていくこと」 を丁寧に描いていました。


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