【のんのんびより】子どもの成長は、ほんの一瞬 - その③

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目次


れんげ

「学校が始まったら捕まえるん」

夏休み直前、最後の登校日。川へ遊びにきたれんげはサワガニを捕まえました。家で飼えないかと尋ねると、一穂から「夏には飼いにくい、秋になったら飼えるんじゃないか」と諭されました。この場面には、れんげが物事を自分なりに咀嚼して、理解するまでの過程が丁寧に描かれていました

れんげが「一度は水槽に入れたサワガニを川に戻し、”秋になったら捕まえる” ことを宣言するまで」がこのシーン。川岸で、れんげは座っていた岩を降りる。水槽を手に持ち、川に向かって5歩すすむ。かがんで、水槽をひっくり返し、川に蟹を戻します。

れんげの背中が振り返り、こちらに向かって訴えかけるように「次学校が始まったら捕まえるん」と口にします。このとき、画面はれんげと正面から相対している視点です

ひるがえって、今度は画面に蛍、夏海、小鞠、一穂が映ります。こちらはれんげの主観からみた視点です。そこにいるのは、小5から教師までと年齢層は幅広いものの、最年少の蛍は大人びていて、蛍を自分より幼い子として見ることができているため、れんげと相対する彼女たちは、れんげと相対する立場であると考えられます

幼いれんげと向き合う関係とはなにか。つまりこの場面において、蛍たちは大人としてれんげを見守っているという状況になります。一穂の言葉を受け入れ、サワガニを川へ戻したれんげの動向を見守り、大人たちは穏やかに微笑んでいました。

れんげがサワガニを川へ戻そうと立ち上がってから、大人としての4人の表情が映るまで、時間にして15秒ほどです。この間に、セリフはれんげの「次学校が始まったら捕まえるん」のみです。ゆるっとしたBGMと、川のせせらぎ。歩むれんげの足音と、水槽の水が川に放たれる音。演出的な飾りが少なく、ゆったりとしたシーンなのですが、誰も言葉を発さないその間(ま)が大きく取られることにより、れんげが頭の中で物事を咀嚼し、自分なりに答えを出そうとしているかのような内面の動きが感じさせる余韻が生まれています

小学1年生が捕まえたサワガニを飼おうとする。しかし、今はあんまりいい時期ではないことが告げられてしまう。子どもなら、それでも譲らず「飼いたい」と言って聞かなくてもおかしくはありません。そんなときでも、れんげは一穂のいうことをしっかりと理解し、行動に移しました

おそらく、これがもう少し理解力の高い大人、たとえば蛍であれば、一穂からの「飼いにくいよ」という忠告に対して、すぐに川に戻していたことでしょう。しかし、そこはまだ幼いれんげです。

たしかに、れんげは頭が切れるうえにものわかりがよく、小学1年生にしてはとても賢い子でしょう。しかし、ものごとを何でも理解するのにはまだ未熟です。言われたことを咀嚼するのには、まだ時間がかかります

岩から降りて、川に向かって歩き、かかんで蟹を放つ。ただ「川にサワガニを返す」という状況説明のためだけのカットであれば冗長すぎるように思えるこの一連の動作が、あえて丁寧に描かれていることで、ものごとをゆっくり、かつしっかりと咀嚼し理解していっている時間であるかのように余韻が用意されています。

時間をかけてサワガニを放ったれんげが、一穂から指摘された「飼うのは今の時期ではない」ということについての回答を自分の言葉できちんと返すと、れんげの目線の先には、何も言わずに黙って微笑んでいる大人(夏海たち)がいます。彼女たちもまた、れんげが思考し納得し、自身の判断で行動を起こしたという成長の瞬間を見届けたのです

そして、夏海たち4人の視点を借りることで、間接的に、視聴者からもれんげの成長を見守ることができるような構図となっていました

伝説の剣

「りぴーと」第1話。旭丘分校への入学前日、れんげは練習と称して学校まで行ってみることにしました。ひかげと一緒にバス停まで進む道中、拾った長い木の枝に “伝説の剣” と名付け、それを使って道しるべ用の線を引いていきます。

「これで迷っても帰れるん」と言うれんげに、ひかげが「ここならまだ(迷わずに)帰れるでしょう」と返すと、会話はここで途切れてしまいます。

学校に到着したれんげは、まだ教室には入れてもらえませんでした。夏海たち在校生が、れんげの入学式に向けて準備をしており、明日のお楽しみということで中を見せないようにしていたためです。

やむをえず、そわそわと校内を探検するれんげ。”何かを観察するかのように、れんげがじっと無表情な顔でいる” というカットは、作中に何度も使われてきました。明日から通うことになる学校の広い空き教室をじっと眺めるれんげは、いったい何を思ったのでしょうか。

今度は、学校に来るまでに道しるべをつけるために使っていた “伝説の剣” を持って校庭へ飛び出しました。昇降口から校門まで駆け抜けるようにして線を引いたれんげは、振り返ると「向こうまで道しるべ見えないん」とこぼします。不安になってしまったのか、続けて「うち、ちゃんと一年生になれるのん」と口にしました。

門から校舎までの距離は、大人からすれば数十メートルに過ぎませんが、このときのれんげには、さぞ遠くに見えたことでしょう。せっかく道しるべを引いても、その線が見えなければ、ちゃんとたどり着けるのか不安に思えてしまいます。これは、今まで通ったことがない学校という場所に、自分は無事行くことがるのだろういかという心配を示唆していました。

入学式には、れんげの両親が車で学校まで連れていく予定だったのですが、れんげは、ひとりで行きたいと言い出しました。そのために今日、学校に行く練習をしたのだというのです。れんげがそういうので、やむをえず、一穂はそれを許可しました。

そして当日、ひとりでバスに乗ったれんげは、降りたバス停で地面を見つめると、昨日引いておいた道しるべを見て、「道しるべ、消えそうなんな」とこぼします。やはり少し不安だったのでしょうか。

このとき、画面上には注意しなければ気がつかないほどの薄い道しるべの線が、れんげの歩く道にうっすらと残っていました。細切れであったとしても、昨日学校までたどり着くことができた自分の軌跡は、今日のれんげにとって強いお守りとなったことでしょう

はじめからそのつもりだったのか、あるいは偶然なのか。れんげが「あとで帰れるように」と引いた道しるべが、れんげ自身の拠りどころとして機能するという巧みな展開は、れんげが他人に依存することなく、自分自身によって困難を乗り越えたと捉えることができます。

くわえて、その線が消えかかっていてもなお歩んでいけるのは、お守りとなる拠り所がなくなっても、自分ひとりの力で進めているということを表しています。と、そこまでは考えすぎかもしれませんが、少なくとも、れんげが引いた道しるべが、いわゆる “伏線” として機能したことは間違いなさそうです。

小学生になるれんげは、少しずつ自分でいろんなことができるようになっていくでしょう。そう思わせてくれるようなシーンでした。

小さな発見 

第1回の記事 で、れんげの存在が「この土地の内側からのまなざし」であるということを述べました。れんげは、新しく誕生したこの村の人間として、様々な発見をしていきます。そしてその様子を、それは夏海たちや、視聴者に見せつけてくれます。

れんげがはまだ、生まれ育ったこの村しか知りません。れんげにとっての世界はこの村だけです。そんなれんげにとっては、何気ないところに、たくさんの発見が詰まっています。

たとえば、学校のみんなでプール掃除をしたとき。目を洗うための、左右に分かれた水道を拭いていたところ、分かれているうちの1つの蛇口を塞いだら、片方の水圧が強まり、しぶきが高く上がりました。

こういったちょっとした発見は、同級生が何人もいるような学校であれば、たいていはクラスの誰かが言い出して一気に広まったり、誰かの兄や姉から口伝したことが得意げに語られることで広まっていきます。そんな発見を、れんげはみずからの力で見つけ出しました

大人になれば常識で片付いてしまうことも、子どもの目には新鮮に映ることがあります。水圧が上がったことに気がつくと、れんげは同じことをもう一度試し、片方をふさぐともう片方が強くなるということを知りました。

子どもが成長していく過程には、大小に関わらずたくさんの発見があり、そのひとつひとつに驚きや、ワクワク、恐怖を感じるうちに、少しずつ自分の見ている世界が広がっていきます。本当に些細なシーンではありますが、れんげがひとつ成長する瞬間がよく描かれているのではないでしょうか

大人な子ども

小学5年生として転校してきた時点から、その背丈は担任教師である一穂と肩を並べるほど。言葉遣いや振舞いには落ち着きが見られ、140センチにも満たない小鞠と歩けば、どちらか年上であるかを確実に間違えてられてしまうでしょう。蛍は、パッと見た限りでは大人か、少なくとも高校生以上には見られてしまいそうな印象を持っています。

越谷家で遊んだ帰り、家が逆方向であるにもかかわらず、蛍はれんげの手を取って、家まで送って行きます。蛍が大人っぽいという話をれんげからされると、「そんなことないよ。もっと大人らしくしたいくらいだよ」と返しています。

その直後のシーンでは、蛍が母に甘えている様子が描かれていました。直前まで、自分の母のことを「お母さん」と表現していたはずの蛍は、自宅の玄関を開けるやいなや「ママー!!!」と叫びます。「楽しかったー!」「お菓子食べていー?」「わーい!!」などと、まるで溜め込んでいたかのように甘え声の限りをつくします

そんなふうに、子どもっぽいところがあると自覚している蛍は、そのことをれんげには伝えたものの、一方でそんな自分の姿は恥ずかしくて見せられないと言っていました。

次の日、みんなのいるときに自分が甘えん坊であるという話をした蛍でしたが、夏海からは「大人はみんなそういう謙遜するんだよ〜」と信じてもらえません。小学生が自身の幼さを伝えてきて、それを謙遜だと流してしまうほどに、夏海たちからは蛍が大人に見えているようです。

しかし、次の瞬間、手にしていた甘酒を口に運んだ蛍は「あまーい!」「おいし〜い!」と嬉しそうに叫びます。その声は、蛍がいつも家で母に甘えているときと同じものでした。小鞠が「今のは子どもっぽかったかも」と言うと、れんげも納得したようにうなずきました。

考えてみると、大人たちも一緒になって遊んでいるとき、高校生のひかげとこのみは大人と一緒になって豚汁を作ったり、甘酒を用意しています。しかし、蛍は夏海たちと一緒に、大人たちの手伝いをすることなく遊んでいる場面が多く見受けられます

「子どもたちは遊んできていいよ」という号令がかかったときに、素直に遊んでいられるのは子どもの特権です。蛍は、自分が子どもであるということを自覚できているという点では他の面々より大人っぽいのかもしれませんが、反対に、自分が子どもとして振舞うことを素直に受け入れられるくらいには、子どもなのかもしれません

すでに成長を終えたかのように見えてしまう蛍ですが、まだまだ子どもな面も持ち合わせていたのでした。

夏海

転校生への気遣い

机のうえで定規を弾いて落とすゲームは、小中学生時代に経験した人が多いかと思います。こういったちょっとした遊びには、じゃんけんの呼びかけが地域ごとに異なるのと同じように、ローカルな呼称やルールが存在することがあります。

彼女たちが “定規とばし” と呼ぶその遊びのなかには、”滝のぼり” や “つばめ返し” といった固有の技名が存在したり、それらを「ひかねえが命名した」として、歴代の偉人として名を残していく感じは、いかにも小中学生っぽさがあります。「誰々の姉がつけた」といったような伝統をにおわせる発言は、小中学生にとって、その権威に逆らわせない何かを感じさせることでしょう。

余談ですが、越谷家の長男である卓(すぐる)が披露した “しらはどり” という大技は、筆者の当時の学校にはありませんでした。呼び名もついていなかったあの遊びに、これだけのゲーム性が隠れていたとは、想像すらできませんでした。

定規落としのうまい卓を負かすために、れんげがチャンスを作り、夏海が指揮を取り、蛍が決定打を放った高度な戦略は、ただの定規飛ばしと言えるような代物では到底ありません。その奥の深さに、定規飛ばしの全国大会がないかと思わず検索をかけてしまいました(ありませんでした)。

さて、重要なのはここからです。

転校してから数日が経った蛍のモノローグから入ったこのシーンは、最初、蛍と卓を除いた3人が定規飛ばしをしようとしているところから始まります。1期では、蛍を含めた4人でいることが自然でしたが、蛍の転校日にまで遡った第2期「りぴーと」のこの回では、蛍はまだどこか学校に馴染めていない様子でした。声をかけられるまで、蛍は自分の席に、何をするでもなくすわっていたくらいです。

しかし、いざ定規とばしに興じた結果、興奮した蛍が「もう一回やりませんか?」と嬉しそうに提案すると、夏海は嬉しそうなため息をつきます。このときの夏海の満足げな様子は、単に、定規飛ばしが楽しかったということだけにとどまらず、転校してきてどこか馴染めずにいた蛍が、力を抜いて楽しそうにしていたことへの喜びであるようにも見えます。定規飛ばしに誘ったのは夏海で、夏海が声をかけた際には律儀にかしこまっていた蛍が、みずから再戦を申し込んできたのですから

それまでは6年間、学校で最年少のポジションだった夏海は、れんげにくわえ、蛍という後輩ができ、気を遣った振舞いをとったのかもしれません。休み時間が終わったことにも気づかず、夏海たちは定規飛ばしに熱中しているのでした。

カブトエビとひらたいらさん

「りぴーと」4話。以前、田んぼで捕まえたカブトエビを教室で飼う当番となったれんげは、水槽の中にいるすべての個体に「ひらたいらさん」と命名し、餌やりと観察日記に奮闘していました。

ある日、学校に来たれんげが水槽をみやると、その場で静止してしまいました。いわく「ひらたいらさん、動かないん」。

場面は切り替わり、曇天のもと、裏庭の木のそばで土を掘り返し、埋め立てた山に『ひらたいらさん』という札をたてました。落ち込んだ様子のれんげは、うつむいて簡素な墓を見つめたまま立ち上がろうともしません。すると、つらい気持ちを代弁するかのように雨が降ってきました。

帰り際、なおも落ち込んでいるれんげの様子を見て、夏海は思いついたように学校へ戻りました。夏海は、生前のカブトエビが卵を産んでいたかもしれないと、飼育に使った土を水槽に戻し、水を張って教室に戻しておいたのです

休みが明け、れんげが登校すると、片付けたはずの水槽に水が張ってあることに気が付きます。疑問を抱いたれんげに、夏海がもっとよく見てみるうよう伝えると、中ではカブトエビの赤ちゃんが孵っていました

いなくなってしまったカブトエビについて、れんげは感情を整理するためか、お墓を作った日の放課後、観察日記に自分の絵を描き、その目元に涙の記号を付け加えていました。かわいがっていたカブトエビが死んでしまったことをとても悲しんでいたようで、蛍が「カブトエビ捕まえに行く?」と尋ねた歳には、「死んじゃうの嫌なん」という理由で断っていました。

しかし、こうして新たに命を宿したカブトエビを見て、れんげは、息を詰まらせて興奮しています。我に返り、ランドセルから観察日記を取り出すと、何やら急いで書き込んでいます。その腕で、いちど涙を拭くような素振りを見せました。よほど嬉しかったのでしょう。日記には、”ひらたいらさんがうまれました” という文字と、両手を広げて喜ぶれんげの絵が記されていました。

れんげは、命の終焉とはじまりを目の当たりにしたことで、またひとつ新しい世界について知りました。それはきっと、れんげの成長にとって大事な経験だったことでしょう

そして、れんげにこの体験をさせてあげたのが夏海です。夏海は、蛍や小鞠がれんげに気を遣って話しかけていたよりも1つ次元の高いところから、先回ってれんげのために行動を起こしていました。普段から面倒見が良いだけではなく、自分よりも幼いれんげに、大人顔負けの気配りができたのも、学校で最年少だった夏海が、先輩としての立場になったからなのかもしれません。

小鞠

大人ぶるという子どもらしさ

卓を除いて、いつも一緒にいる4人の中では最年長の小鞠。しかし、どうあがいても、というより、あがけばあがくほど、小鞠は幼く見えてしまいます

このみと蛍が音楽やファッションの話をすれば、知識のなさが露呈しないよう知ったかぶりますし、虫でもオバケでも、怖がれそうなものならなんでも怖がってしまうのが小鞠です。

そんな小鞠ですが、だてに夏海の姉をやってきてはいません。母と喧嘩した夏海が、家出と称して出ていった際には、しっかりと後を追うようについて行きました。

小さい頃に秘密基地にしていた、水道関係の施設らしき建造物の空きスペースにやってきた2人ですが、これといってやることはありません。暇をもてあました夏海がしりとりを提案すると、小鞠はそれに付き合います。もっとも、末尾が「ん」になる回答を即座にしてしまうほど、小鞠にはしりとりのセンスがありませんでしたが。

ぼーっとしていると、夏海が今度はお腹が空いたと言い出します。一応、今日は夏海の家出という体裁でここまで来ています、姉を巻き込んだ以上、いざとなったら姉ちゃんを養ってあげると大口を叩いていたのですが、そんな発言はいざ知らず、何か食べ物はないかと問いかけると、小鞠がたまたま持ち合わせていたチョコレートを半分わけててもらいました。

壁に落書きを見つけると、会話は、幼い頃にも夏海が小鞠を巻き込んでここまで家出してきたときのことに移ります。当時、最後はどうなったかを振り返ってみると、生えていた草を食べて気持ちが悪くなった夏海は、小鞠におぶってもらって家まで帰ったことを思い出しました

夕暮れを迎え、帰ることにした2人。今回はさすがに、夏海も自分の足で家に向かっていると、ちょうど自転車で探しに来ていた兄の卓と遭遇します。結局、卓の自転車に2人が腰をおろし、それを卓が引いて歩くという形で帰宅することになりました。越谷3兄妹の最年長者に甘えている2人が、いかにも妹らしい瞬間です

小さい頃と同じように、いい加減な行動を取った夏海でしたが、そこには小鞠が今でも姉としてきちんと付き添っていました。その夜、どうしてか小鞠のベッドに潜り込んだ夏海は、「反省モード」ということにしてお姉ちゃんと一緒に寝ようとしています。

いつも、お姉さん風を吹かせようとしすぎるあまりに子どもっぽい小鞠は、意識していないところでは、ちゃんとお姉さんとして振舞っています

あんたには私がついててあげないと駄目なんだから」と言う小鞠は、やっぱりどこか得意げな顔をしていました。

成長を見届ける大人からの視点

自転車の練習

「りぴーと」10話では、れんげが自転車の練習をします。

これまで補助輪つきの自転車に乗っていたれんげでしたが、あるとき、補助輪を外したいと言い出しました。とはいえ、1人で練習するのは危ないので、一穂がいないときは、代わりに誰かから見てもらうようにと言われます。

あくる日、一穂が不在のため駄菓子屋に向かったれんげは、駄菓子屋の店主・楓に練習を見ていて欲しいと言います。いくら暇とはいえ、楓も駄菓子屋として仕事中のため、練習に付き合うことはできません。しかし、駄菓子屋の前の道で、ひとりで練習するれんげの様子に、楓は外に出て、れんげの様子を見守ることにしました。

また別の日、れんげは自転車の練習をしようと駄菓子屋にやってきました。その日は運良く定休日だったため、楓はれんげに付き合うことにしました。

近くのあぜ道に2人で行き、日が暮れるまで練習をします。楓は、れんげが生まれたとき、高校生でした。そもそも狭い人間関係のなか、田舎という環境もあり、先輩と慕う一穂の妹の世話を度々してきた楓にとって、れんげの成長を感じる機会というのは、しみじみとした時間のようです

駄菓子屋が後ろから押し助走をつける。その勢いで、れんげが自転車を漕ぐ。見届ける駄菓子屋と、少し先で転ぶれんげ。傷だらけになったれんげの膝に、楓が絆創膏を貼ってやる。立ち上がり、ふたたび自転車にまたがると、そのうしろを駄菓子屋が支える。何度も繰り返し、自転車に乗るバランスを少しずつ掴んでいくれんげ。その間、背景にはしんみりとしたBGMが流れています。

際立ったセリフのないシーンですが、いつの日か思い出したとき、楓にとっても、れんげにとっても、胸がきゅんと締めつけらる思い出になりそうな空気が漂っていました

日暮れも近い黄昏をバックに、いよいよれんげの運転技術も上達してきました。勢いをつけ、楓が手を離すと、画面の右側から漕ぎ出したれんげはそのまま画面の左へとフェードアウトしていきます。背景には、楓のいる方角に夕闇が、れんげが進む先には、まだ明るい茜空が輝いていますした。まるで、大人のもとを離れたれんげが、希望のほうへと向かって進んでいくかのような演出です

明るいへと突き進んで行くれんげの背中を見つめる楓は、れんげの自転車を押し出したまま名残で浮いたままになっていた腕を、そっと降ろします。それはまるで、れんげに対して「もう手助けがいらなくなったこと」への確信を表しているかのようでした。

れんげの成長をずっと見てきた楓は、またひとつ、れんげの新たな成長を見届けたようです。それが喜びなのか、あるいは寂しさなのかということは、楓にしかわかりません。ただ、言い表すことのできない感情を抱いているであろうことが、遠く、れんげのほうを見つめながら、ただ立ち尽くしている楓からはうかがえました。形容しがたい気持ちだからこそ、セリフではなく、情景と音楽に乗せて描写されていたのです

後日談

れんげが補助輪なしで自転車に乗れるようになったため、れんげたち4人は、ふた駅先まで自転車で行くことにしました。その道中、駄菓子屋で各々が好きなお菓子を選ぶなか、れんげは棚の上のほうにあるお菓子を取ろうとします。しかし、手が届きません。

すると、駄菓子屋がスッと手を伸ばし、れんげにお菓子を取ってやりました。自転車の練習シーンにおいて「もう手がかからないこと」を暗喩していたかのような描写がありましたが、ここでまた、「れんげに手をかけてやる」ということが発生しました

やはり、まだまだれんげは子どもで、できないことがたくさんある。だから、駄菓子屋は手伝ってやる。この関係性がもうしばらくは続きそうな予感を想起させてくれました。

れんげは駄菓子屋に「ありがとなん」と伝えます。れんげの成長をいつも側で手助けしてきた駄菓子屋にとって、れんげからの “ありがとう” は、自転車の練習だけでなく、これまでしてきた手助けについての感謝の言葉ともとれそうです

もっとも、れんがはまだ小学1年生で、過去のことを遡ってまで感謝を伝えるようなことは難しいでしょう。したがって、れんげからすれば、そのときお菓子を取ってくれたことに対する感謝の言葉だったと考えるのが妥当ではありますが、これまでずっと成長を支えてきた駄菓子屋にとって、れんげが感謝を伝えてくれるまでになったということ自体が、ひとつの報いとなったのではないでしょうか

まとめ

子どもの成長というのは、思いがけないところで進んでいきます。それは、大人が説明して教えてやることだけではなく、暮らしのなかにあるちょっとした気づきを、子どもがよく観察した結果、少しずつ覚えていく振舞いであることもしばしばです

日常にあるちょっとしたことを緻密に描いている『のんのんびより』には、子どもたちの成長が垣間見える瞬間が、多く見受けられました。


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