【かくしごと】娘が徹底的に愛おしい父のお話

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『かってに改蔵』や『さよなら絶望先生』など、数々の名作を描き上げてきた人気漫画家・久米田康治による『かくしごと』。

この作品の魅力のひとつとして、ある話題を言葉遊びのように派生させ、社会や身内をいじりたおしていくことで読者ないしは視聴者を笑わせていくというところがあります。

それは、誰でもわかるあるあるネタに始まり、昨今話題となったあれやこれやをディスってみたり、あるいは、業界や事情に詳しいマニア向けの皮肉など、多岐に渡ります。

高度なセンスが光る久米田作品の魅力のひとつが、言葉遊びによるいじり芸にあることは間違いありません

目次


この作品の面白さ

いじりネタ

『かってに改蔵』や『さよなら絶望先生』など、数々の名作を描き上げてきた人気漫画家・久米田康治による『かくしごと』。

この作品の魅力のひとつとして、ある話題を言葉遊びのように派生させ、社会や身内をいじりたおしていくことで読者ないしは視聴者を笑わせていくというところがあります。

それは、誰でもわかるあるあるネタに始まり、昨今話題となったあれやこれやをディスってみたり、あるいは、業界や事情に詳しいマニア向けの皮肉など、多岐に渡ります。

高度なセンスが光る久米田作品の魅力のひとつが、言葉遊びによるいじり芸にあることは間違いありません

親子パートとのギャップ

いじり芸については、過去の作品から続いている “久米田節” ともいえる特徴なのですが、もうひとつ、特に本作『かくしごと』には特筆すべき魅力があります。

本作は大きく分けて2つのパートからなっています。1つは、先述したように言葉遊びや社会風刺、下ネタを用いたギャグがメインのもの。そしてもう1つが、本作の特徴である「親子パート」です。

父・後藤可久士(ごとうかくし)とそのひとり娘・姫(ひめ)との絆はとても強いものでした。可久士は娘を思うがあまり暴走しますし、姫はお父さんと一緒がいいとよく口にしています。母不在の後藤家で、可久士にとっては娘が育つまでの大切な時間を無駄にはできませんし、姫にとっても家でひとりで寂しい思いをするよりかは、お父さんと一緒にいたいという思いを強く持っています。

そんな2人が一緒にいる貴重な時間を描いているのが、親子パートです。

後藤親子が家でゆっくりと2人だけで過ごしているシーンは温かく、ベースとなっているギャグシーンからの振れ幅により、センチメンタルな感情を引き起こしてくれます

可久士をはじめ、 登場人物は皆どこかひねくれたものの見方をしていて、全方位に喧嘩を売るようないじり方をしている場面が多いでのですが、親子パートでは、それまでの風刺的なセリフやいじりネタの多いパートからは打って変わって、ひとり娘を育てていく父親の覚悟や娘への愛がひしひしと伝わってくるため、それまでのおふざけがなかったのように、あたかも最初からハートウォーミングな作品だったのではないかと勘違いしてしまうほどです

むしろギャグがあるからこそ、2人きりの家庭の少し寂しい空気感や温かさが引き立つとでも言えるでしょう。このギャップの振れ幅が、本作の大きな特徴であり、魅力である事は間違いありません。

淡く切ない世界観

ハートフルな親子愛を描くにあたって、せっかくアニメかしたのですから、アニメでしかできない演出が施されていました。

『かくしごと』というタイトルは「隠し事」と「描く仕事」が掛かっている言葉です。それは物語の冒頭で明示されています。

可久士が、娘を思うがあまりに姫が17歳になるまでずっと隠し通してきた漫画家と言う仕事。当然、姫からすれば、なぜ隠していたのだろうかということにはなりますが、可久士の考えとしては、自身が下ネタ漫画家だと言うことが知れ渡ってしまえば娘が馬鹿にされいじめられてしまったり、やさぐれてしまうのではないかと心配だったからです。

可久士にとって姫は大切な一人娘ですから、姫が少なくとも立派に大人になるまでは仕事のことを隠す必要があると考えていたのです。

そこに、姫の小さい頃に母はすでにいなくなってしまったということが相まって、可久士は、娘に寂しい思いや悲しい思いだけはさせたくないという気持ちを常に抱えていました。

それが故に姫という存在はより愛おしく、どんどん成長していく嬉しさと、やがては父の手から離れていってしまう寂しさを可久士は受け入れるほかなかったのです

一瞬一瞬を切り取っても、娘のいじらしさは常にはつらつと目の前を通り過ぎて行きます。その喜びと切なさの両方を演出すべく、淡い色合いのアニメーションに主題歌が用意されていました。

OP主題歌を担当したflumpool。ボーカルの山村隆太による伸びやかで粘りのある声が、爽やかさと切なさを感じさせてくれます。

一方で、EDは大滝詠一の『君は天然色』が使用されていました。その中に、こんな歌詞があります。

別れの気配をポケットに隠していたから

EDムービーでは後ろ手に組み、いじらしげに、それでいてはつらつと歩く姫が映し出されていました。嬉しそうに父と話す姫も、いつか育ってしまったときに親離れしていく。そんな瞬間を連想させてくれます。

こちらもまた、とても爽やかな楽曲でありながら、寂しい余韻がいつまでも残っていく楽曲です。

まさに本作に合致した世界観設計ではないでしょうか。

可久士の行動原理

すべては「姫が元気に大きく育つこと」

確信は作中で何度か「姫が元気に大きく育つこと」と口にしています。それは可久士何をする時もゆずれない信念であり、行動原理となっていました。

先述した親子パートにおいては特に、”良き父” として娘を思っている可久士が描かれていましたが、使命のためになら何でもする覚悟というのはその言動の端々から伝わってきました。

例えば、姫が犬を飼いたがったとき。

犬を飼いたい姫は、可久士に言われて生き物を飼うことについてたくさんの勉強をしました。太い木に縄をしばりつけて力いっぱい引っ張ると、それを「散歩のトレーニング」と銘打って繰り返すほどでした。

健気さ故にズレたことをしてしまう姫ですが、可久士から「引っ張られないようにしつけるのが大事なんだぞ」と言われると、すぐさま納得する素直さもまた姫の愛らしいところです

さて、可久士は犬を飼うために準備をしていましたが、あるとき帰宅すると、姫が床でうなだれていました。

姫は、近所のおばさんたちの雑談の中から「主人は会社、子供はがっこう。女房が家にいなきゃ犬なんて飼えないのよ」という声をたまたま耳にしたしまったのです。

後藤家には母がいませんから、姫はこの言葉にショックを受けます。

やっぱ、うちじゃ犬は無理だよ。お父さんと私しかいないから、このおうちでかったら犬がかわいそう。だから

姫はこのように言い、落ち込みながらも犬を飼えないということを受け入れようと必死でした。

可久士は、姫がどうしても家でひとりで過ごさなくてはならない時間に寂しい思いをさせたくないと考えて犬を飼うことを決意したのですが、里親募集のタイミングを逃し、少し、段取りが遅れ気味になっていました。

しかし、姫の「無理だよ」という言葉が、可久士に火をつけたのです。

無理なこと、あるか。うちだって犬くらい飼えるさ!犬くらい飼える普通の家庭だ!!

そうつぶやくと、姫のために何としてでも犬を飼おうと駆け出し、とある筋から犬をもらってくることができました。

すべては、姫が大きく元気に育つため。そのためであれば、可久士は何だってやる覚悟を持っていました。犬をもらってきた相手は、かくしにとっては何かしら因縁のある様子でしたが、それが姫のためになるのであれば、受け入れてしまえたのです。

娘が大切がゆえのギャグパート

下ネタ漫画家であるという事実を娘にバレないようにするためにとる行動は、もちろん「姫が元気に大きく育つ」のための可久士なりの配慮ではありましたが、その考えがつい行き過ぎてしまうことで、ギャグパートが展開されていきます。

漫画家であるということが姫にバレてしまわないよう、可久士は会社員を装っています。朝はスーツで家を出て、途中で着替えて職場に向かうという段取りを踏むようにしていました。

そこまで徹底しているがゆえに、可久士の職場ではときどき訓練を行っていました。万が一、姫がとつぜん職場に訪れたとしても、そこがあたかも普通の会社であるかのように振る舞うため、ホワイトボードにそれっぽいグラフや言葉を用意し、会議っぽい言葉を羅列した会話をするという訓練です。

もちろん、そこにいるのは漫画家の可久士とそのアシスタントですから、基本的には会社員が普段どんな仕事をしているかを把握していないようです。あくまで「っぽい」振舞いをしているだけなので、外部から見れば嘘くささ満載の、まるで「コント・会社」とでも言わんばかりのお芝居です。

ただし、可久士はいたって真剣です。だからこそ、原稿の一切を隠し、姫にはわからないだろうという希望的観測のもと、アシスタントたちと “MTG” している様が、ただのギャグとして成立しているのです。

可久士の暴走

とある週末。姫の学校で、臨海学校が開かれたときのこと。

可久士は、週末なのに家で一緒に姫と過ごせなかった寂しさに加え、臨海学校での姫をそばで見守りたいと言う気持ちから、アシスタントたちを引き連れ、姫たちが訪れている場所の近くまで「社員旅行」という形をとってわざわざ宿泊することにしました。

生徒たちにバレないよう、遠くから姫を見守る可久士はどう見ても不審者です。

しばらくすると、姫たちは活動の一環でカブトムシを取りに行くことがわかりました。すると可久士は、クラスで姫だけがカブトムシを取ることができず、いじめられてしまうのではないかと考え、アシスタントにカブトムシを買いに行かせました。

さらに今度は、炊事で姫がカレーの味付けを担当するということがわかると、味付けを間違えていじめられてしまうのではないかと考えた可久士が、どこからかインド人シェフを呼び寄せ、隙を見て姫の班が作っているカレーの味付けをシェフにやらせました。

これらの行動は、どこをどう考えても行き過ぎています。ただし、そこにシリアスな雰囲気は感じられず、「姫が○○になったらどうする!」と豪語する可久士の姿は、”親バカここに極まれり” といった間抜けな印象を抱かせます。

下ネタ漫画家であることを隠すことにはじまり、「もし姫が」という妄想に取りつかれ、常々不安を抱えて幾重にも先回りしながらも姫にバレてしまう危険を回避する可久士が、コミカルに描かれているシーンでした。

父親らしさ

もちろん、可久士はただ過剰に不安がるだけではありません。姫の父親として、しっかりと父親らしいところもありました。

姫が落ち込む様子に黙っていられず、どうにかして犬を手配した可久士の奮闘もあり、犬を飼うことになった後藤家。可久士が犬の名前を決めるよう伝えると、どうやら姫は決めあぐねている様子です。

この時点で姫は犬に「ゴル(仮)」という名前をつけていました。しかし、その少し前、

“名称に「(仮)」という表記をつけていると馴染んできてしまい、そのまま本題になってしまう”

という話題が職場で発生していました。

そのことを踏まえ、可久士は姫を役所へ連れて行くと「ちゃんと決めて、その名を呼んで、慣れてやれ」と伝えます。

仮のままではなく、しっかりと名前をつけて、新しく自分の家族として受け入れていくことの重要性を教える可久士からは、少し前まで全裸でしか漫画を描くことができなかった下ネタ漫画家としてではなく、姫の父親、教育者としてのスタンスがうかがえました

姫はというと「は、はい...!」と返事をし、素直に役所の中へ向かっていきました。

いつも仲良しで、父が娘にデレデレしている印象が強かった2人ですが、伝えるべきことをきちんと伝える可久士と、父の言うことを素直に聞き入れる姫の様子は、それが親子であることを再確認させてくれました

姫 = 愛おしい存在

ここまで、姫を大切に思っている可久士の視点について書いていきましたが、ここからは、可久士の視点を無視しても、姫が愛おしいということについて書いていこうと思います。

この作品の秀逸な点は、可久士がどれだけ姫を大切に思っているかということが伝わるように、誰から見ても姫が愛おしい存在で描かれているということにあります

ただ可久士が娘を見ているだけではなく、作中に出てくる可久士の関係者や、視聴者でさえ、姫という存在がとても愛おしいものであるということを実感させてくれます。

姫が愛おしく思えるからこそ、可久士が暴走してしまうほどに姫のことを考えていることにも共感ができるのかもしれません。

本章では、姫がいじらしい存在であるかことがわかるエピソードを紹介していきたいと思います。

みんながひねくれている世界で

本文章の冒頭に記したように、久米田康治の作品には皮肉や風刺的なセリフが多用されています。

たとえば、姫の運動会で走ることになるかもしれない可久士が「100m15秒切れなかったら、漫画家じゃないかって思われるだろ!!」という激しい偏見を吐露していたとき。

それはないのでは、とアシスタントの羅砂(らすな)から指摘されると、「漫画家以外で15秒切れない職業なんて、何があるんだ!!!」と、可久士は声を荒げます。

そもそもがこの発言も随分と偏見と決めつけに満ちておりますが、それに対するアシ2人の回答はこうなりました。

弁護士とか、棋士とか?

たしかに、どちらも頭脳労働であることは間違いありません。とはいえどちらの職業にも運動好きの人がいるはずですし、最近では棋士の藤井聡太氏が、学生時代は50mを6秒8で走っていたと答えていたくらいです。

同じ問いに、もう1人のアシスタントが続けます。

ダ・ヴィンチやMacfanの編集とか?

1つ前の回答はまだ、大まかな職業のイメージとして想像してしまうのもわかりますし、範囲が広すぎる分、あまり誰かを傷つけるような発言ではなさそうでした。

しかし、2人目のこの回答は、実在する有名雑誌の人間を正面から攻撃する姿勢としか取れません。堂々と雑誌の名前を出すあたり、おそらくは作者と親交のある人物がいるのかもしれませんが。

なにか恨みがあるのかどうかはさておき、編集という仕事や雑誌そのもの対するダメ出しをするのではなく、「足が遅いに決まっている」という職業と関係のないところで半個人の名前を出して悪口を言い、悪びれる様子もない。

それはもちろん、作者の意図と言ってしまえばおしまいなのですが、作者の意図を通して、そのようにひねくれた発言を平然と言ってのけるキャラクターが多いのが、『かくしごと』の登場人物の多くが持つ特徴であり、この作品の世界観でもあります。

というより、そもそもが個人差の問題である以上、可久士の設問が誤っているのですが...。

他にも、羅砂の「そんな神みたいな読者がいるはずないじゃないですか!」というセリフなど、挙げればキリがないのですが、そのあたりについては以下の記事で紹介しています!

とにもかくにも、『かくしごと』に登場するキャラクターは、偏見に満ちたひねくれ発言をバシバシと繰り出しています。そんな世界なのです。「腐った資本主義豚」なんて言葉が平気で飛び交うのです!

素直な姫

さて、そんな風に悪意がなければできないものの見方やセリフをサラっと放ち続ける、ひねくれた登場人物たちばかりの世界で、姫だけは特に素直で優しい子として描かれている節があります。

たとえば、姫が臨海学校に訪れたとき。姫がお米を洗っていると、クラスメイトからその手法について指摘が入りました。あげく「ママに教わらなかったの?」と言われてしまいます。

もちろん、姫には幼い頃から母がいませんから、教わりようがありません。

それでも姫はそのことを気にせず、クラスメイトの指摘を聞き入れると、「そっか、やってみる」とだけ答えます。

反論するでもなく、あとになって裏で恨み節を吐くでもなく、ただ言われたことに素直に反応する

いつも何も考えていないようにぽけーっとしている姫は、ただ素直に物事を受け入れていきます。

やさしい姫

ある日、可久士が家に帰ると姫のお友達・加代ちゃんが遊びに来ていました。少し控えめな様子の加代は、転校してきたばかりだといいます。

姫が居間を離れ、可久士と加代の2人きりになると、彼女が切り出しました。

加代は、転校初日の自己紹介で緊張し、ひと言も喋れなかったそうです。結果、周囲との間にバリアを作ってしまい、誰も近づいて来れないようにしてしまったと告白します。小学生にとって、クラスに話せる子がいないというのはとても大きな問題ですから、加代はもう友達ができないと思うほどに落ち込んでいたようです。

ところが、そこで加代に話しかけたのが姫でした。本当に他愛のない、「犬、飼いはじめたの!」という言葉をかけてくれたと言います。

ずっと1人で過ごしていくのだと思いこんでいた加代にとって、姫は救世主でした。加代いわく、もう終わりだと思える状況でも、姫のような救世主がいればちょっとしたことで「案外、人生とりかえせるんだなって!」と言います。

自分の娘を救世主とまで呼んでくれる子の登場に、可久士は「大げさだなぁ!」と照れて笑っていましたが、父親として誇らしいできごとであったに違いありません。

姫がどこまで意識してそのような言動を取ったのかはわかりませんが、姫の健気さを考えてみると、「可愛そうだから」といった同情からではなく、ただ純粋に話しかけたのかなと思わせてくれます。それだけ姫はまっすぐな子として描かれているのです。

加代が使った「救世主」という言葉に、可久士もまた、姫を見つめます。何があろうと姫のためだったらやってのけてしまえる可久士にとっても、姫は救世主なのかもしれません。

大人になろうとする姫

先述した犬のお話。犬を飼うことはできないと落ち込んでしまった姫のために、可久士は走りました。結果、とある筋から犬をもらってきた可久士は、それを姫に得意げに見せました。

悲観していた姫ですが、実際に家にやってきた犬を見るや、満面の表情を浮かべます。

ここで少し意地悪く、可久士がこう言います。

姫が飼えないって言うなら、パパだけで飼うもん

姫をからかっているようです。本当は飼いたくても、飼えないということを受け入れようとする少し大人びた姫でしたが、本音では、やはり飼いたいという気持ちがありました。

む〜、むむ、むむ、むっむりだよ!お父さんだけで飼うの!わたしも手伝うよ!

一応は、「うちで犬は無理だよ」と言ってしまった責任も感じているのでしょうか。手放しで喜ぶ前に、「お父さんだけでは飼いきれないから、私も手伝う」というポーズを取っています。「どうしようかな〜?」とふざける可久士はもちろんそれを見抜いています。

自分の希望は必ずしも叶わないということを、子どもは成長ともに少しずつ受け入れていきます。その一環として、犬を飼うことができないということを受け入れてしまった姫。しかし、父の意地によって飼えることになればやっぱり嬉しい。そして、その嬉しさをただ享受する前に、一応は自分の言葉に責任を持つ姫には、子どもらしさと大人らしさの間にある、成長期らしさを感じることができました。

子どもらしい姫

こちらも先述した犬のお話。役所に犬の登録をしにきた姫は、ギリギリまで名前を決めあぐねていました。

ところが、役所の窓口で職員から「ご登録でよろしいですね?」と尋ねられると、姫はハッとします。姫には「ご登録」が「後藤ロク」に聞こえたようです。

「名前は最初から決まっていたのか!」と早合点した姫でしたが、その響きが好みだったようで、何も疑問を持たず、犬の名前を「ロク」として手続きを行いました。

「ご登録」を「後藤ロク」と聞き違えたという話は、子どもらしいうっかり話です。しかも、姫はこのことについて「区役所の人は、さすがに良い名前つけるね!」などと言っています。

おそらくですが、姫のなかで区役所は「すごい場所」とか「えらい場所」くらいの認識だったのでしょう。元は自身の聞き間違えでしかないのにも関わらず、そこの職員がいい名前をつけてくれたから「さすが区役所!」「やっぱり、わかってるね!」くらいのニュアンスで事態を捉えているのは、子どもらしい発想です。

女の子は男の子よりも精神の成長が早いと言われることが多いと言われていますが、まだまだ子どもらしさを感じさせる姫のエピソードでした。

父思いの姫

七夕を目前に控えたある日。

ママが言ってたけど、男なんて出世がすべてなんだって。偉くなることがすべてなのよ!」という友達の言葉を信じた姫は、短冊に「お父さんがえらくなりますように」と書き記しました。

それを見た可久士は、大切なひとり娘が七夕で自分のことを書いてくれた嬉しさとは裏腹に、漫画家でありながら偉くならなくてはという難しい問題を課せられてしまいました。姫がそう願ってくれたのですから、可久士は実現する以外の選択肢はありません。

さて、また別の夜。どうして姫は短冊に父のことを書いたのかと可久士がたずねると、「お父さんが喜ぶと思って!」と嬉しそうな顔で言いました。父思いの娘が放った言葉によって、親子だけの甘い空間を覗き見させてくれるこのシーン。視聴者にとっても、姫が愛おしい存在になったのではないでしょうか。

娘が自分のために願い事を書いてくれたことは、父である可久士にとってもちろん嬉しいことでした。とはいえ、可久士にとって一番嬉しいのは「姫が元気に大きく育つこと」です。そして、そのことを姫に伝えます。ずっと見ていたくなるような親子の愛が詰まったシーンです。

一方で姫はというと、可久士の言葉から「元気に、大きく」のところに着目したようで、「ヤクルト取っていいかな!」と答えました。言葉尻を素直に受け取り、子どもらしく発想した形ですね。

これに対して可久士は指摘をすることなく、「そしたら、お父さんの分のジョアも一緒に頼む」と返します。とても自然で、いい意味で飾っていない親子の愛らしい会話ではないでしょうか。

可久士は短冊に『姫に楽しい毎日が訪れますように』と記していました。

まとめ

『かくしごと』は、その多くが風刺や皮肉による笑いで構成されていたものの、根幹となる物語は「娘が愛おしすぎる可久士のお話」として描かれていました。

そして、可久士にとって姫がどれだけ愛おしい存在であるかというのが伝わってくるのは、姫が、誰から見ても健気で愛らしく、素直で優しい存在だったからかもしれません。

本作は、姫の愛おしさがふんだんに表現されている作品でした。


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2008年から「まんがタイムきららキャラット」にて連載中の、黒田bb氏による4コマ漫画『Aチャンネル』。2011年にアニメ化し、OVAも製作されるほどの人気を誇るこの作品の魅力は、エンディングテーマ曲における最後のワンフレーズ、<b>「 つぎの角で振り向きながら バイバイ」</b>という歌詞に凝縮されています。タイトルを『ハミングガール』とするこの主題歌の作曲は、アニソン界に知らない人はいない<b>音楽制作集団MONACA所属の神前暁氏</b>が、そしてその作詞を、これまたアニソン界に知らない人はいない<b>こだまさおり氏</b>が手掛けるという、まさに夢のタッグによって製作された曲です。曲の雰囲気としては、マーチのように明確で軽快なリズムを刻みながら、楽しい放課後に中の良い友達と一緒に帰っているような気分にさせてくれるもので、歌詞もまた同様にそういった内容となっています。今回冒頭で紹介した「次の角で 振り向きながら バイバイ」という1行は、この曲の最後を締めくくるフレーズとなっています。では、この歌詞がいったいどのように『Aチャンネル』を描写しているのかという話をしていきたいと思います。

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