【色づく世界の明日から】④P.A.WORKSが手掛けた演出という魔法

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『色づく世界の明日から』という作品について、これまでいくつか書いてきました。この物語は非常に緻密に作られていて、どこを切り取ってもそこに何かしらの意図が読み取れる作品です。

過去の記事で紹介したのは、そんな作品の中身、物語の根幹である登場人物たちのセリフや感情、ストーリーや伏線についてでした。

しかし今回は、その精密に構成された物語をさらに魅力的にさせる「演出」の部分について着目してみたいと思います。

残念ながら、筆者は映像について専門知識を持っていないため、ところどころ誤った言葉や知識、過剰な解釈があるかもしれません。

ただし、おおよそ素人目に見てもわかるくらい明確な表現技法を使っていると思われるシーンがたくさん見受けられたため、気がついた範疇で見ていきたいと思います。

目次


ていねいな作り

画面の構図

まずは、わかりやすく表現されているところについて見ていきましょう。

4話。琥珀から背中を押された瞳美は、未来からやってきたことを魔法写真美術部のメンバーに打ち明けます。

わたし、未来からきたんです!

それまではふさぎこむようにして過ごしていた瞳美が自分のことを打ち明けるというだけあって、重要な場面です。そのためか、印象的なシーンとなっていました。

画面左下に、唯翔、あさぎ、胡桃、翔、千草が小さくまとまって立っています。反対側、画面の右下にはこれまた小さく瞳美と琥珀が立っています。

ざっくりと、左にいるのは魔法が使えない人たち、右にいるのが魔法使い(月白家)という区別ができます

それだけも十分に効果的なカットなのですが、さらに背景に注目してみましょう。

左にいる写真美術部グループと、右にいる魔法使いグループ。その間には、双方を大きく分断するかのような幾千もの星が川のように縦断しています。

夜の屋上という暗い環境のなか、左右に分かれたそれぞれの人物にはあまり光があたっていません。このカットでフォーカスがあたっているのは、どちらかといえば中心の星々に見えます。

このことを踏まえて画面全体を見ると、まるで、左右に分かれたお互いは、それぞれお互いの方には決して行き来することができないかのような構図となっています

さながら天の川のように、両者が遮られている状況を示唆しているようです。

瞳美は、60年前に送られたことではじめて友達ができました。写真美術部のメンバーは、瞳美を受け入れてくれたからです。だからこそ瞳美は、人に知られないようずっと隠してきた胸の内を告白することができたのです。

ところが、瞳美と写真美術部の間には絶対に超えられない壁がありました。このシーンでは、画面の構図によって、「未来からやってきた瞳美は、いつまでもみんなと一緒にいられるわけではない」ということが暗示されていたのではないでしょうか。

このとき瞳美がいるのは画面の右側で、時間の流れを直線であらわせば未来の側に立っています。そして、写真美術部たちを現在としたとき、進行方向にいる瞳美との間には、強い光を放った星々が配置されていて、それは、時間という超えられない壁を想起させます

ここでの琥珀は、未来からきた存在ではありません。しかし、時空間を超える魔法はとても難しいものです。写真美術部と琥珀たちとの間にあるのは、宇宙を思わせるほどの数多の星々です。

琥珀はいずれ大魔法使いとなり、そんな時空間を超える魔法を習得し、瞳美を送り出すわけですから、やはり瞳美と同じく右側にいるべきだったのです。

本作の主人公は瞳美ですから、瞳美の内面や感情にとって重要なシーンはこのように印象的な演出がしっかりと施されていました。

他の例も見ていきたいと思います。

物語の構成

『色づく世界の明日から』はタイトルの通り、瞳美の世界が色づいていく物語です。冒頭、瞳美は色が見えないということが説明された瞬間から、この子の世界が色づいていくのだろうなという結果はおおかた予想できるようになっています。

そう聞くと、そんな予定調和な物語でいいのかとも思えてしまいそうですが、これは何も予定調和なわけではありません。むしろ、しっかり描くことでミスリードが起こらないようになっているのです

1話の冒頭。瞳美は祖母より先に花火会場へ足を運びます。街にはわざとらしいほどの色が溢れている一方で、瞳美だけは色が見えないことが説明されます。

そこに祖母がやってきて、「あなたは今から、高校2年生のわたしに会いに行きなさい。魔法であなたを過去へと送ります」と告げました。

このとき、瞳美はもちろん、視聴者である我々にも、過去へ送られた瞳美が何をするのかはまったくわかりません。しかしながら、孫を過去に送る張本人の祖母がお気楽そうな態度を示していることから、それが深刻な理由ではないということがわかります

あくまでも不安そうな瞳美の表情は、これから降り掛かるであろう困難を想像させるものの、最後はとりあえずうまくいくストーリーになるであろうことが暗示されていました。

おおまかに「色の見えない瞳美が色を、取り戻していくということだろうな」といったことから、「瞳美は最後、またこの未来に戻ってくるのだろうな」ということが予想できてしまいますが、本作にとって重要なのは、予想できない結末ではなく、むしろ結果に向かって歩んでいく登場人物たちのプロセスと、そのときに起きる心情の変化です

そのための伏線が、導入部分によって示されていたのです。

映像・色の演出

本作ではタイトルの通り、「色づいていく」ことを表すシーンが多々見られます。オープニングやエンディング、次回予告においては、モノクロの映像から始まって次第に色がついていくという演出がなされていました。

色づいていくという重要なテーマにくわえ、「魔法」というファンタジックな要素もまたた大きな特徴であるため、作中、色の表現や演出を含めた映像の表現は、とても緻密で華々しく彩られていました。

「茶色」という特徴的な言葉

あさぎのセリフに、とても印象的なものがあります。

5話。写真美術部は琥珀を迎え「魔法写真美術部」として活動する認可が学校から下りました。その懇親会が「まほう屋」のウッドデッキで開かれました。

当日、瞳美が支度をしていると、あさぎが一番乗りでやってきました。「準備を手伝おうと思って」と話すその手に、懇親会を彩るために焼いてきた色とりどりのウサギ型のクッキーを持って。気配り上手ですね。

2人は部長・山吹将についての話題で盛り上がりました。小さい頃から引っ込み思案だったあさぎは、いつも面倒見よく引っ張ってくれた将のことを嬉しそうに話します。

そんな折、他の部員たちがやってきました。

将が「俺らの持ってきた料理も並べていい?」と両手に抱えた袋をおもむろに差し出すと、机の上はギョウザ、ポテト、カツ、唐揚げなど、いかにもジャンクな食べ物で埋め尽くされてしまいます。

あさぎが持ってきたキュートでカラフルなクッキーや、瞳美が見せてくれた青くてキレイな星砂とは打って変わって、テーブルは一気に、地味な茶色に染まってしまいました

これにはあさぎもガックリです。瞳美とあさぎによって、ささやかながらキラキラしていた雰囲気が台無しになったのですから。

この少し前の日のこと。あさぎは、将に対して「幼なじみ」だけでは説明できない感情を示していました。琥珀から恋愛運を占ってもらったとき、「ライバルが現れて、彼の気持ちは遠のいていきます」と告げられると、あさぎはハッとしてしまったほどです。心当たりがその表情に浮かび上がっていました。

ところが、将はその面倒見のよさから、同じモノクロ写真を撮る仲間として瞳美によく構っていました。そして、あさぎがその様子を伺っているように目を配らせる描写は何度もありました。

さて、瞳美が唯翔と買い出しに行った後のことです。

部員たちは、将が切り出した瞳美の話題になります。将は、60年後の未来からやってきて頑張っている瞳美を「偉いよな」と褒めちぎった反面、あさぎには、もっと頑張るようにと説教じみた言葉を並べました。

ずっと近くにいたのに、あさぎの頑張りは全然褒めてくれない。まるで少しも見てなかったかのように。それなのに、瞳美のことはよく見て、構って、称賛する

あさぎは顔を曇らせると、将からの「これからは、(中略)もっと積極的に....」という言葉に「瞳美ちゃんみたいにですか?」「わかりました、部長」と冷たい返事。

さっきまで「将くん」と呼んでいたのをあえて「部長」と呼びかえると、さらに続けてこう放ちます。

「将くんって、そんなんだからテーブルの色も茶色にしちゃうんです」

あさぎは優しい子で、決して瞳美を妬んでいるわけではありません。瞳美が60年前に溶け込もうと努力していることや、苦手だった魔法の練習を頑張ったり、星砂づくりに取り組んでいることも知っています。

ただ、幼いころからいつも一緒にいた将が、まるで自分のことには気づいてくれないのに、瞳美のことはすごくよく見ていたのが少し悔しかったのかもしれません。

そんなんだからテーブルの色も茶色にしちゃう」という言葉には、将に対する ”全然わかってくれない” という意味が含まれているのではないでしょうか。

やれ瞳美は頑張っている、あさぎももっと頑張れなどと言われ、あさぎの気配りには目もくれない将に対する嫌味として「茶色」という言葉が使われたのです。

あさぎが立ち去ったテーブルには、あさぎが焼いた3色のクッキーが残されていました。

光と影

本作が、画面上の演出を丁寧に施していることがわかってきました。今度は、光と影の表現による物語への効果を見ていきます。

場面は同じく5話。この回では、あさぎが将に抱えている思いが明らかになる一方で、あさぎが将のことをよく見ているからこそ、将が瞳美ばかりを見ていることを確信してしまうという切ないお話が展開されていました。

将は、あさぎの実家の写真館でバイトをしています。ある日、趣味で撮影したウサギの写真を編集していたあさぎのもとへ、ちょうどバイト終わりの将が尋ねてきました。

ウサギばかりが並ぶあさぎの写真を見た将から「相変わらずウサギ祭りだな」と言われると、あさぎは「だって....好きだから」と漏らします。

将はその言葉を、文字通り「ウサギが好きだから」としか捉えていないようですが、あさぎは「好き」という言葉をどこまで意識して使ったのでしょうか。

これまでどおり、あくまで幼なじみとして接してくる将がゼロ距離に入ってきて驚いた拍子に、ついあさぎの本心が表出してしまったかのようにも見えます。

このとき、画面の手前にあさぎ、奥に将が配置されています。2人とも画面左(パソコンのモニターがある)を向いていて、窓から差し込む夕やけが、将に後光を差している構図です。

画面全体には光のモヤがかかっていて、BGMもなく、とても静かなシーン。それはあさぎにとって、「この空間がほのかで淡いものである」ということを表現しているかのようです。

光は、ちょうどあさぎの顔の右半分、将がいる側に当たっている反面、将からは見えない、つまり視聴者側から見えるあさぎの顔左半分は影っています。

将にとっては表向きの話で「ウサギが好きだ」という話をしていながらも、将から見えないあさぎの本心が、影として視聴者からは見えている

将から「写真うまいんだから、もっと見てもらえばいいのに」と言われれば、あさぎは「そんなの、恥ずかしい....。」と返す。

表面上は、ただの写真部としての会話にすぎないようで、薄い霧のかかったような画面演出や、構図や光と影による演出を施すことで、あたかもそれらのセリフが「あさぎが抱えている将への気持ち」を表しているかのように聞こえてきます。

そういった表現が、このシーンにはありました。

さらに、光と影による演出は続きます。この第5話は、あさぎの感情がとてもよく描写されている回なのです。

将が瞳美のことばかり目をかけていることに嫉妬心のような気持ちを抱いていたあさぎでしたが、その実、瞳美が頑張っていることも、あさぎはよく知っています。

あさぎは最初、自分のように自信なさげでオドオドしていた瞳美を、自分と似ていると感じて声をかけたと言っています。しかし、頑張っている瞳美に比べて、自分は写真を誰かに見せるようなこともしないし、将に気づいてもらえるよう積極的になることもしていないと自覚していました。

けれど、そこでただ拗ねていてもしかたありません。瞳美と同じように、あさぎは自分を変えたいと口にします。

話を懇親会に戻します。会はお開きを迎え、片付けがはじまりました。

そこであさぎは、「ウサギのポストカード、作ってみよっかな」と将に告げます。数日前、将にすすめられたときは、恥ずかしいからと否定していたあさぎでしたが、今度はみずからそう伝えたのです。

このシーンもまた、光と影が的確に施されていました。

「ポストカード、作ってみよっかな」と口にしたとき、画面左にいるあさぎの顔は、部屋から漏れる照明で逆光となり、影になっています

これは、あさぎがここまでに積極的になれずにいたときと同じように、あさぎの影の感情をあらわしています。

ところが、将から「いいんじゃないか!」と返答されてから、あさぎの心理描写が動きます。

ここであさぎは次のように言いました。

将くんも、手伝ってくれる?

このセリフと同時に、画面左側で左を向いてその全面が影になっていたあさぎの顔は、将の方へ振り向く動作とともに、画面の中央へ移ります。

映像作品における左から右への動きは「前進」を表すことが多いですから、ふさぎこんでいたあさぎが、自分の写真を人に見せることを決意し、将に対してもみずから働きかけてみることにしたことを一歩前へ歩み始めたと表現していると解釈できそうな動きです。

くわえて、画面正面にきたあさぎの顔に注目してみましょう。ちょうどあさぎの顔に当たっている照明の光とそれによって生まれた影が、鼻筋に沿って左右半分に別れています。

勇気を持って、自分から能動的に動こうとする気持ちが、それまで画面の下手(左側)にいて影っていたあさぎを、中央まで動かしました。そうすることで、あさぎのかげりは半分、明るみに出ることができたのです

しかし、あさぎの顔の半分には、まだ光が当たっていません。影ったままです。なぜなのでしょうか。

もしこれが、あさぎにとって完全な前進で、目指すものはただ希望だけというシーンであれば、あさぎの顔にあった影はすべてたち消え、完全に明るみに出ていても良かったはずです。

ところが、この場面のあさぎの顔にはまだ半分の影がありました。それは、勇気を持って行動していこうとするあさぎでも、半分は、どこかまだ希望以外の要素が残ってしまっているということを示しているのではないでしょうか。

たとえあさぎが尻込みするのをやめて、自分のことにも将に対しても行動的になったところで、あさぎの心の半分は、それが完全に希望だけではないということを知っているかのようです

繰り返しますが、あさぎは優しくて気配りのできる子です。だからこそ、自分が前向きになることだけでは、将が瞳美を見ているという事実はくつがえせないということを理解してしまっているのかもしれなません

もちろん、それはあさぎの内情であり、セリフとして言葉になっているわけではないので推測にすぎませんが、あさぎの顔にあたる光と、それにともなってできる影のコントラストから、そう読み取れるような表現がなされていると考えられそうです

「手伝ってくれる?」というあさぎの問いかけに、将から「おう、もちろん!」と返事をもらったあとのあさぎの表情は、そこに声優の演技も加わることで、半分の笑みを内包していながらも、あさぎが胸に抱いているポジティブな諦念を感じざるを得ない、含みのあるものとなっていました。

中学時代、幼なじみとしてタメ語で会話をしていた2人は、そのせいで周囲から "付き合ってる" と噂されてしまいました。それからあさぎは将に対して敬語を使うようになったようです。

当時を振り返り、変な噂が立ってごめんなと語る将に対して、「敬語にも慣れちゃったから。今は、このままで」と告げるあさぎ。無理に距離を詰めるでもなく、今はまだ、このままでいることを選んだようです。

カメラは2人を背中側から捉えています。先ほどまで画面の左側にいたあさぎでしたが、間に白い花を隔て、今度は、左に将、右側にあさぎが見切れていました。これもひとつ、ことを前向きに受け止めたあさぎなりの前進だったのです。

篠原俊哉監督のインタビューより

将がここまであさぎの気持ちに気づかないのは、胡桃の「鈍感」という言葉では表しきれないほど不思議です。部長を務めるほどに周囲をよく見て世話を焼くタイプの将が、なぜあさぎの気持ちを汲み取ってあげられないのでしょうか

その理由については、本作で監督を務めた篠原俊哉氏へのインタビュー記事にありました。

幼馴染としてずっと一緒にいたことで、あさぎのことを妹のように可愛がっていますが、そこに揺らぎがなさ過ぎて、中学生の時のうわさ話であさぎが傷ついたと思い込んでしまっている。だから無理やり一線を引いてしまった。

【引用元】 gooニュース:「色づく世界の明日から」篠原俊哉監督が更に語る。結末は「最初から決まっていて、全く揺らいでない」 より

記事にあるとおり、『色づく世界の明日から』は感情押し込めてしまう登場人物たちが出てきます。自分の気持ちとどう向き合っていくかということは、本作におけるひとつ大きなテーマになっています。

終始、ただの鈍感男にしか見えなかった将ですが、やはり周囲を見れるだけあって、あさぎに対しても気を遣っていたようです。

本編では、最後まで将は「あさぎの気持ちに鈍感男」として描かれていましたが、将が幼なじみに対してしていた気遣いは、きっと繊細なものだったのでしょう。そのあたりの葛藤を見てみたかったと思うのは私だけではないはずです。

対比表現

ここまで何度か書きましたが、映像作品における一般原則のようなものを改めて記します。

映像や舞台作品において、左(下手)と右(上手)の意味は基本的に決まっていて、人は左から右に向かっているものを「前進」「希望」「上昇」などと感じ、右に配置されているものには「上位」「強者」「安心」や「楽しさ」などを感じやすい傾向にあるのです。

反対に、右から左に向かうものは「退行」「絶望」「落ち込み」と捉えてしまうバイアスが多くの人にはあります。

その法則に従って、物語の冒頭と最終話の結びを見てみましょう。

冒頭

1話の冒頭、ひとりで花火大会に来ていたひとみに声をかけてくれたクラスメイトたちがいました。ただし、ひとみは浮かない様子です。

このとき、瞳美は画面右から左に向かって階段を上がっています。左側へ向かうということは、あまりポジティブな意味合いではありません。ふさぎ込んでいた当時の瞳美の様子が示されています。

結び

今度は、最終話の結びのシーンを見てみましょう。元いた時代に戻ってきた瞳美は、画面左から右に向かって学校の坂道を登っています。これは冒頭と対になっています。

これだけで、瞳美の心情がポジティブなものへと変わったことがわかります

さらにいうと、冒頭ではクラスメイトたちから 追い “抜かれ”、声を ”かけられ た瞳美が見上げるようにして会話をしていましたが、今度は自分よりも高い位置にいるクラスメイトたちにみずから ”追いつく” ような動きがあります。

結びのシーンでは主題歌が流れており、セリフ音声が入っていません。そのため、ここではクラスメイトと瞳美のどちらから声をかけたかはわかりませんが、冒頭にうつむきがちだった様子とは打って変わって明るい表情をしている瞳美が、画面左から右に進み、クラスメイトたちに追いつくような動きが施されていることで、それが不思議と瞳美みずから声をかけているように見えてくるのです。それだけポジティブな表現となっています。

よく見てみると、実は1話の冒頭でクラスメイトたちが瞳美に声をかけたときも、クラスメイトたちは快く仲間に入れてくれそうな雰囲気でした。しかも、その2人組のひとりが瞳美を誘ったあと、もう1人が「無理やり誘うのは良くないよ」と咎めるようにして瞳美への配慮を示しているあたり、2人はやさしい子として登場しているようです。

ところが、未来に帰ってきた瞳美がもういちど冒頭と同じ2人に声をかけたとき、彼女たちはとても嬉しそうな表情をしていました。

いつも釣れなかった「月白さん」がみずから話しかけてくれた!といったような嬉しそうな顔をしています。

どうやら、瞳美が最初に声をかけられたときも、クラスメイトたちは本当に一緒に遊びたかったのではないかということが推測できそうです。

瞳美のセリフに「気持ち一つで世界を...」というものがありました。

瞳美がまだふさぎ込んでいた頃は、クラスメイトたちがどんな思いで話しかけているのかなんてところまで、想像ができませんでした。そこまで気を回すひまもなく、ただ自分がひとりでいたかった。

ところが、60年前のみんなと知り合って、自分の気持ちにもみんなの気持ちにもたくさん触れていったことで、世界にはたくさんの色があるということ知り、たくさんの色が見えるようになった瞳美は、自分自身が話しかけることでクラスメイトたちもきっと喜んでくれるだろうという希望的な感情を持つことができるようになったのです。写真美術部のみんながそうしてくれたように。

そして、自分から話しかけ、楽しい気持ちを共有することで、自分も相手も一緒になって幸せな気持ちになれるということも知りました。

冒頭と結びでは、瞳美の心情がほぼ正反対と言っていいほどに変わっています。それをわかりやすく明示するために、表情を変えるだけでなく、画面の構成を左右反転させる表現が施されていました。

まとめ

「魔法」や「色」といったものは、物語においてよく使われてきたモチーフです。だからこそ、ただ作品にしただけでは陳腐なものになりかねないでしょう。

ところが『色づく世界の明日から』は、むしろそれらの要素をきちんと、徹底的に表現していました。

「人を幸せにするための魔法は、きらびやかであってほしい」という意図があるならば、徹底してきらびやかに。「色を失った少女が色を取り戻したのなら、そのときの感動は計り知れない」という意図があるならば、惜しまずに華やかな映像にしていく。

もちろん製作者の意図を視聴者が知ることはできません。しかし、登場人物たちが抱える感情を、アニメという表現手法の中で可能ならは徹底的にやっていこうとする意思がうかがえる。

そんな制作陣の本気がひしひしと伝わってくる作品でした。


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